この辺から色々と書いていこうと思います。
今一緒にいる人が、歌を歌う人で、エレキギターを弾く人で、生身で社会に立ち向かう人なんです。
その人を見てると、自分の強みってなんだろうって、よく思うんです。
魂を削って物を作るのです。
自分の表現とか、考えとか、制作者が思うこととか、そんなのどうでもよくて、ただ魂を削って作れれば、自ずと、作品の方から投げかけてきてくれて、いつのまにか形になる。
そんな作り方を今までしてきましたけど、
会社に入って、本格的に溶接を勉強して、制作との板挟みになった今、その方法では魂が削るまで行かなくなってきました。
その時に、今の人と一緒になったんですけど
生身で立ち向かうあの人を見て、もしかして足りないのは、自分の強みを作品にぶつけることなんじゃないかと思って
そもそも芸術が嫌いなんですよ。彫刻も美術も。
それが好きな人も、作品を使って自分が立っているような人が嫌いでした。
作品を作る以上、制作者なんて世に出てこないほうがいいと思うんです。
作るとはなにか、とか、人生において制作とは、とか
それに命をかけているような人が、嫌でした。
そんな大それたものじゃないし、
作ることしか生き方を知らないからやってるだけで
一度できた物を世に出せば、あとは彼らが頑張ってくれますから、作者なんて前に立ってべらべら話さなくても、作品がこの世界にどう安らぎを得られるのか、自立できるのか、それだけを作者は考えれば良いんです。
ただ
もし、魂を削るだけで、この世界に作品の居場所が作れないのなら。作者がもうちょっと介入しないとできないようなら、やっぱり作品のために、動くしかないと。
そのために、自分の強みを探していて
その結果が、今週の土曜日に出そうです。
今一緒にいる人が、歌を歌う人で、エレキギターを弾く人で、生身で社会に立ち向かう人なんです。
その人を見てると、自分の強みってなんだろうって、よく思うんです。
魂を削って物を作るのです。
自分の表現とか、考えとか、制作者が思うこととか、そんなのどうでもよくて、ただ魂を削って作れれば、自ずと、作品の方から投げかけてきてくれて、いつのまにか形になる。
そんな作り方を今までしてきましたけど、
会社に入って、本格的に溶接を勉強して、制作との板挟みになった今、その方法では魂が削るまで行かなくなってきました。
その時に、今の人と一緒になったんですけど
生身で立ち向かうあの人を見て、もしかして足りないのは、自分の強みを作品にぶつけることなんじゃないかと思って
そもそも芸術が嫌いなんですよ。彫刻も美術も。
それが好きな人も、作品を使って自分が立っているような人が嫌いでした。
作品を作る以上、制作者なんて世に出てこないほうがいいと思うんです。
作るとはなにか、とか、人生において制作とは、とか
それに命をかけているような人が、嫌でした。
そんな大それたものじゃないし、
作ることしか生き方を知らないからやってるだけで
一度できた物を世に出せば、あとは彼らが頑張ってくれますから、作者なんて前に立ってべらべら話さなくても、作品がこの世界にどう安らぎを得られるのか、自立できるのか、それだけを作者は考えれば良いんです。
ただ
もし、魂を削るだけで、この世界に作品の居場所が作れないのなら。作者がもうちょっと介入しないとできないようなら、やっぱり作品のために、動くしかないと。
そのために、自分の強みを探していて
その結果が、今週の土曜日に出そうです。
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